神々が動いている

日々のニュースが、地震や気象が、古代神話とシンクロをはじめた! まるで時空を超えた天地人のコラボレーション。 母なる地球は、そして神々はいま何を伝えようとしているのか? リアルタイムでチェックするメモ日記です。

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伊豆伝説・北緯36度・怒田の宿

6/2811:13 宮城県大崎市鵙目(もづめ) M2.6
    11:40 能登半島志賀町沖 M2.9
    12:22 伊豆式根島沖 M3.5 震度3 
・宮城では余震がつづいているし、規模もちっちゃいけど、同時多発タイプかもと思う。能登と伊豆はタテの連鎖なのか。地図上の鵙目の鳥居マークは、たぶん氷川神社。氷川神といえば出雲のスサノヲ。
・志賀神は船神、阿曇(あずみ)の神。宮城も近年船の事故が増えてるそうだ。伊豆の熱海はアズミ・アツミの訛化とも、阿多隼人につながる阿多海ともいわれる。阿曇氏は応神朝の御用水軍。05年福岡西方沖地震にはじまる船神・水軍系事象については、伊豆・熊野(九鬼)でさらなる反応がありそう。能登半島の震源の変化には、出雲大社遷座祭のオオナムチもからんでるのか。
・式根島は30日にもおなじ震源の震度2。泊神社。久爾都比命(泊御途口大后明神)、 野伏若御子明神。クニツヒメは、三島大神のお后のひとり。三島大神は三島市の三島大社の神さま、事代主。
28日放送の「オーラの泉」で、タレントの狩野英孝さんが神職をつぐ決心をされたとか。実家は栗駒市の桜田山神社。創祀1500年のお社だそうだけど、ご祭神がわからない。ご存知の方いらっしゃらないだろうか。
狩野(かの)という名は、たぶん三島に関係している。応神天皇の5年、伊豆国に船をつくらせた。とても性能のいい船で、「枯野」と名づけられ長いこと御用船として活躍した。「枯野」は「かれの」ではなく「カヌ・カノ・コノ」。つくった場所は三島市狩野川のそばの狩野神社。語源をカヌーとする有名な説もある。
応神3年には阿曇大浜が各地の海人の大騒乱を鎮圧との記事。以後、海洋軍事国家の色が濃くなって、663年白村江の敗戦までつづく。イージス艦「あたご」(舩渡健艦長)の事故には、こうした水軍系カルマの側面もある。
伊豆の高度な造船技術は幕末までうけつがれる。近代造船の父も伊豆の船大工だ。
・三島大社には大山祇(オオヤマツミ)もまつられている。コノハナサクヤヒメの父神。通説では、天孫ニニギとサクヤヒメは薩摩半島の笠沙で出会ったことになってて、阿多隼人と結びつけて考えられている。じつはあの辺、うちの父方のお里なのだけど、どうもサクヤヒメの匂いがしない。オオヤマツミの本拠を富士山麓だとする説もあって、僕もその説をとっている。もっとも阿多と伊豆には縄文以来の古いつながりがあるけど。
三島大社には愛媛県の大山祇(オオヤマツミ)神社との関連もある。伊予の越智氏(河野水軍)は孝霊天皇の第三子、伊豫皇子の子孫とされる。皇子には三つ子がいて、そのひとりが伊豆国(三島市)に来て大宅氏を名のったという。つまり事象的には、伊豆と伊予は連動する可能性がある。伊豆は富士山がからむだけに、伊予愛媛の動きには注意がいる。
・孝霊天皇と富士山は、かなりゆかりが深い。富士山本宮浅間大社には、孝霊の御代に大噴火したという伝承がある。ホツマツタヱは孝霊天皇の富士山行幸をつたえ、名をフジの山に変えたのも彼だとする。またタヂカラオがつくった八湖は、噴火で埋もれて五湖になったという。宮下文書は、もともと伊豆半島は島で、やはり孝霊期に大変動があり、陸地がもりあがって地つづきになったと説く。
伊豆七島には独特の島生み伝説もある。南からはるばる海をわたってきた事代主が、七日間で10個の島をつくりあげたという(これも7と10)。南からきた事代主が伊豆半島のたとえなら、まるで衝突にともなう地殻変動を思わせる話だ。
日本列島は中央構造線で上下にわかれてて、下の部分は太古イザナギプレートとともに移動してきた。伊豆はそのあとに、南からフィリピン海プレートに乗ってやってきて本土と衝突、いまの半島になった。とはいえ、数百万年も前の話のはずなんだけど。。
現代のプレートテクトニクスが学説として完成したのは、1960年代の後半。つい最近の話だ。でも古代の人々はどうやら伊豆半島の特殊性にとっくに気づいていたらしい。いったい彼らはなにを感じ、なにを見た(?)んだろう・・・。

6/29 岐阜県高山市高根乗鞍湖 M2.6 ( 36.0° 137.5°)
ちっちゃな地震だけど、位山ピラミッドが近いだけに気になる。怪神両面宿禰伝説があり、高天原の神々に位をさずけたとされる山である。この山のイチイの枝で天照大神の胞衣が裂かれ、それ以来イチイの枝を持つことが、天君のそばに仕えるものの証しとされたともいう。大和朝廷の貴族の持つ笏(シャク)も、位山のイチイでつくられていた。
天照大神の胞衣を納めた場所は、いまの恵那神社とされている。信濃路を行軍した日本武尊は、恵那神社に参拝したあと北上し、現在の下呂市で吉備武彦軍と再会、合流する。吉備武彦が鹿島神宮からもろ北西にあたる新潟の柏崎・刈羽をめざし、日本武尊の行軍路が地脈を追ってるだけに、36度ライン付近での再会は事象的にも不気味だ。じっさい岐阜・長野で揺れてるのもこのライン。
北緯36度は、鹿島神宮の要石(35度58分)から、美浦トレセン(荒川沖駅)、秩父神社、御巣鷹山、諏訪大社上社、位山、越前岬へとぬける。去年12/21の三菱化学鹿島コンビナート火災(35度54分)と、2時間後の福井県嶺北地震4(35度56分)も、このラインにそったスライドだった。
伝承にはないけど、たぶん日本武尊は恵那神社のあと位山にいってるはず。北緯36度は出雲国ゆずり神話の鹿島神と諏訪神、さらに位山と日本武尊がからむ、ど~もいわくあり気なラインだ。

6/29 奈良県吉野郡行仙岳・怒田の宿址付近 M3.3
これも微震だけどメッセージタイプなのでチェック。震源付近の怒田の宿は、あの役小角の経典を納めたとこらしい。
近ごろ南紀は、十津川村や新宮市の山間部でときどき微震が起きている。熊野九鬼沖でも千葉・栃木・福島だけがゆれた奇妙な地震があった。いまだに解読できないけど。
九鬼文書は「うしとらの金神」の出どころ。26日「金」山町の事件のあとの「怒」田の宿。
茨城南部地震と荒川沖駅、四川省地震とチベット、どれも偶然なんだろうか?
内陸は母なるイザナミ、海なら水軍・船神系カルマ。熊野の動きは、思ったより早いかもしれない。

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Author:いやさかの木
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天照大神の宣りたまわく
人は天が下のみたま物なり
すべからく
天が下静かにして
平らかならむと
つとむるべし
心はすなわち神明の源たり
あが魂を
傷ましむることなかれ
このゆえに
目にもろもろの
不浄を見て
心にもろもろの
不浄を見ず
耳にもろもろの
不浄を聞きて
心にもろもろの
不浄を聞かず
鼻にもろもろの
不浄をかぎて
心ににもろもろの
不浄をかがず
口にもろもろの
不浄をいいて
心にもろもろの
不浄をいわず
身にもろもろの
不浄をふれて
心にもろもろの
不浄をふれず
心にもろもろの
不浄を思いて
なかごにもろもろの
不浄を思わず
このときに
清く潔きことあり
もろもろの宣りは
かげとかたちとのごとし
清く潔ければ
仮にも穢るることなし
ことをとらば
得べからず
みな花よりぞ
木の実とはなる
あが身はすなわち
六ツの根清らかなり
六ツの根
清らかなるがゆえに
身も内もすこやかなり
身も内も
すこやかなるがゆえに
あめつちの神と同根なり
あめつちの神と
同根なるがゆえに
よろずの御霊と同体なり
よろずの御霊と
同体なるがゆえに
あが願うところのこと
なり調わずと
いうことなし

きわめてきたなきも
たまりなければ
きたなきものはあらじ
うちとの玉垣
きよくきよしと申す

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