神々が動いている

日々のニュースが、地震や気象が、古代神話とシンクロをはじめた! まるで時空を超えた天地人のコラボレーション。 母なる地球は、そして神々はいま何を伝えようとしているのか? リアルタイムでチェックするメモ日記です。

Entries

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  • [No Tag]

静けさ・・・

第1幕が終わったんだろうか。それとも序章?
4/20出雲大社仮殿遷座祭にはじまったすさまじい動きが、洞爺湖サミット終了とともに、ぴたりと止まった。まるで台風の目にでも入ったような静けさだ。すこし蒸し暑いけど、このまま平穏であってくれればいい。
サミットについては、成果を疑問視する声も、開催自体が無意味だとする意見もある。けど、オオナムチマトリックスのさなか、北海道で開かれたサミットがいかに重要な意味をもってたか、この静けさが物語ってると思う。
宮城・岩手では、あいかわらず弱い余震がつづいている。
7/5の岩手県奥州市の震度3は、こうした余震とは震源も毛色もちがった。キーワードは安倍氏。蝦夷vs大和を研究する歴史家にとっては、もろカギとなる氏族だ。
7/6イージス艦「さわゆき」で火災事故。のち放火とわかる。事故の取材にむかったヘリ(JA9755)が青森県大間崎沖で消息を絶つ。火と水と空。
7/7の「雲の川」のあと、その寒気の影響で、8日早朝に北陸地方をゲリラ豪雨がおそった。とくに石川県羽咋市では1時間に100ミリ、富山県南栃市では110ミリの猛烈な記録的豪雨。福井県でも、九頭竜川流域で7月の時間雨量記録を17年ぶりに更新した。
もちろんこの「水」の事象は、7/5のオホーツク海・奥州市・茨城沖、7/8沖永良部島の「土」の事象とも連動している。
「火」⇒「土」⇒「水」の順番だといったけど、日高見高天原が動いて枕詞が「空見つ」になったようだ。中国モンゴル自治区では飛蝗が動いてるという。これからは五元素の組みあわせでくる。旋律をくりかえすごとに楽器がふえてく「ボレロ」のように。

石川県羽咋市は、能登国一ノ宮の気多大社。平国祭は、全国でも指折りの神幸祭として知られる。ご祭神はオオナムチ。時をさだめて訪れる神・・・。
7/7の客神社(愛媛・西予市)地震のとこでふれた折口信夫は、大社がある一ノ宮町に眠っている。これもシンクロなのか。マレビト(客人神)たちが何かを伝えたがってる?
ちなみにオオナムチの気多大社はいま、神社本庁と巣立(独立)をめぐって係争中だ。2005年、伊勢式年遷宮開始の年の11月に巣立ちを決定。石川県は認可するも、神社本庁が文部科学省に取り消しを申請。去年の東京地裁の判決に対し、文部科学省が控訴している。この動きも目をはなせない。
富山県南栃市の越中一ノ宮・高瀬神社も、オオナムチが主祭神。北陸を平定して出雲にもどるとき、みずからの御魂を国魂として祭ったのが最初だという。自分の幸魂・奇魂と対話する書紀のワンシーンを思い出す。
南栃市で最高雨量を観測した高宮の比賣神社は、下照姫をまつっている。雉真大明神とよばれてたので、天若彦が主神だったのかも。出雲に派遣され、そのまま居ついて殺される高天原の神だ。下照姫はその妹だけど、妻の高照姫のことかもしれない。けっこう混同が見られる。夫の死後、高照姫は父オオナムチの津軽への国遷し(左遷)に同行したらしく、岩木山頂が元宮の鬼(キ)神社にまつられている。
小矢部市~南栃市は、吉備武彦の軍が越国巡撫を終えて岐阜の下呂へと南下したルートでもある。吉備武彦は鹿島神宮から戌亥にあたる新潟の柏崎・刈羽に入り、Uターンして富山を目ざした。日本武尊とは、たぶん位山でおちあう手はずだったんだろう。
鹿島神宮⇔位山のラインは例の北緯36度だ。考えてみれば、これも36(ミロク)なんだよな・・・。

富山湾は、縄文のむかしから豊穣の海だった。富山については、この先ふれる機会がふえるかもしれない。今回の豪雨はオオナムチの印象が強いけども、いずれイザナギの「父なる」揺り返しがはじまる。それとも、「雲の川」がイザナギとイザナミの表象なら、もうはじまってるのかな。竜頭が父島母島のあたりを通過してるっぽいし、9日に両神山麓の大神楽が反応してたしなぁ。両神はイザナギとイザナミ。龍神。この震源もまた、北緯36度だ。これにクロスする富山から尾張・愛知へのタテの事象には注意したい。
父なる動きになる。

  • [No Tag]

*Comment

Comment_form

管理者のみ表示。

*Trackback

トラックバックURL
http://amanohitukukami.blog28.fc2.com/tb.php/58-2dd9190f

Menu

プロフィール

いやさかの木

Author:いやさかの木
.........................

天照大神の宣りたまわく
人は天が下のみたま物なり
すべからく
天が下静かにして
平らかならむと
つとむるべし
心はすなわち神明の源たり
あが魂を
傷ましむることなかれ
このゆえに
目にもろもろの
不浄を見て
心にもろもろの
不浄を見ず
耳にもろもろの
不浄を聞きて
心にもろもろの
不浄を聞かず
鼻にもろもろの
不浄をかぎて
心ににもろもろの
不浄をかがず
口にもろもろの
不浄をいいて
心にもろもろの
不浄をいわず
身にもろもろの
不浄をふれて
心にもろもろの
不浄をふれず
心にもろもろの
不浄を思いて
なかごにもろもろの
不浄を思わず
このときに
清く潔きことあり
もろもろの宣りは
かげとかたちとのごとし
清く潔ければ
仮にも穢るることなし
ことをとらば
得べからず
みな花よりぞ
木の実とはなる
あが身はすなわち
六ツの根清らかなり
六ツの根
清らかなるがゆえに
身も内もすこやかなり
身も内も
すこやかなるがゆえに
あめつちの神と同根なり
あめつちの神と
同根なるがゆえに
よろずの御霊と同体なり
よろずの御霊と
同体なるがゆえに
あが願うところのこと
なり調わずと
いうことなし

きわめてきたなきも
たまりなければ
きたなきものはあらじ
うちとの玉垣
きよくきよしと申す

最近の記事

月別アーカイブ

FC2カウンター

ブログ内検索

ブロとも申請フォーム

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。