神々が動いている

日々のニュースが、地震や気象が、古代神話とシンクロをはじめた! まるで時空を超えた天地人のコラボレーション。 母なる地球は、そして神々はいま何を伝えようとしているのか? リアルタイムでチェックするメモ日記です。

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ノーベル賞も・・・

ノーベル賞も日本武尊と出雲事象。

【ノーベル物理学賞】
☆「CP対称性の破れ」
・小林誠(高エネルギー加速器研究機構名誉教授)
         ・・・・・・・・・・愛知県名古屋市出身(熱田神宮・日本武尊)
・益川敏英(京大名誉教授・京産大教授)
         ・・・・・・・・・・愛知県名古屋市出身(熱田神宮・日本武尊)
☆「自発的対称性の破れ」
・南部陽一郎(シカゴ大・大阪市立大名誉教授)
         ・・・・・・・・・・旧東京市元麻布出身(麻布氷川神社・素盞鳴尊、日本武尊)
【ノーベル化学賞】
☆「緑色蛍光たんぱく質(GFP)の発見」
・下村脩(元ウッズホール海洋生物学研究所員・ボストン大名誉教授)
         ・・・・・・・・・・京都府福知山市出身(一宮神社・大己貴神)

なんとゆ~か、すごい演出だ。
今回のノーベル賞は、素粒子とクラゲ。
まさしく、天地はじめてわかれし時「海月(クラゲ)なす漂へる」国だねこりゃ。

小林・益川両氏はもろ日本武尊つながり。この受賞で、先月始動したLHC(大型ハドロン衝突型加速器)の次なる巨大加速器「国際リニアコライダー計画(ILC・全長30km)」の、日本誘致の可能性が出てきた。
南部氏の氷川神社は、「セーラームーン」で火野レイが巫女をしていた火川神社のモデル。当時はファンがおしかけて大変だったとか(笑)。南部鉄器が名産の南部藩(岩手・青森)は、奥州十二年合戦の源頼義(また出た)の子、源義光の末裔だという。ちなみに7/24の岩手沿岸北部地震(6強)は、旧南部領の地震だ。
下村氏の福知山市はいま話題沸騰中(?)の丹波国。丹波国一宮は亀岡市の出雲大神宮(大国主命)だけど、福知山市の神社事情は特殊で、祭神不詳といった方がいい。さすが丹波哲郎、もとい、鬼とアヤタチの国だ。しかも化け学(笑)。
福知山藩主が崇敬したのが一宮(いっきゅう)神社。現祭神はオオナムチだが、五宮まであるようで、丹波道主命の5人の御子だともいう。御霊神社はもとお稲荷さんで、明智光秀を合祀する。ちなみに福知山市の観光キャラクターは、光秀くん・・・。「忍たま乱太郎」の作者がデザインした。
酒呑童子の大江山、天照大神の墓所伝説のある日室ヶ嶽ピラミッドと元伊勢神宮もまた、福知山市にある。大本(出口王仁三郎)の聖地・綾部は由良川沿いのとなり町。個人的には去年の夏至をはさんで回る予定だったのに、急きょ中止に・・・。
下村氏は長崎県の旧制佐世保中学の卒業。地元では九州(ゆかり)初のノーベル賞に沸いてるらしい。

いまおきてる事象の要素がみごとに反映したノーベル賞だったと思う。
ちなみに男子テニス界の新星・錦織圭選手は出雲。島根県松江市の出身だそうだ。

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*Comment

なにかと破れつつある模様 

「○○の破れ」というあたり、なんとなくそれっぽいですね、とくに益川氏のキャラが。。物理学賞という事で思い浮かんだのですが、量子物理学には<観測効果>なる理論があって、それによれば極微の世界では観察者と観察対象は不可分にして一体(粒子と見れば粒子の姿をとり、波と見れば波の形姿を顕す、など)だそうですけれど、本来は通常の世界も含めて(緩慢にして鈍重ながら)経験されることではないかな、と。つまり、より多数の人々が(無意識領域も含めて)「こうなってほしい」「こうなるだろう」と観る方向へゆるゆると時にはいそいそと現象も動いていく、神話というのは、その動き方の傾向性もしくは型ともいえるものでしょうか。ニワトリと卵の関係のようですが・・鋳型に合わせて物語が出来るとともに一連の現象として投影・表出、しかるのちに物語が上書・更新され、鋳型自体もまた時として再形成される・・といったフローで。
私自身は残念ながら事象群の神話的脈絡ならびに意味を自在に読みとるには至っていませんし、大多数の人々と同様に間接的に物語の生成に関わりつつ出来あがったものを単に見て楽しむ側の人間でしょうが、作家と呼ばれる人種も含めて(ご自分でもそれと知らず)物語の生産により直接的に加担する方々が居られるような気が・・誰々とは申しませんけれど(笑)
  • posted by spaspaboy 
  • URL 
  • 2008.10/11 13:00分 
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spaspaboyさま 

いろいろ「破れ」の時代ですね~。
流行語大賞にノミネートされたりして。

科学は観測してナンボですが、極微の世界では観測は成立しないようですね。主観と客観、主体と客体の区別もないに等しい。その極微の集合体が僕らですもんね。
僕もspaspaboyさんと同じ見方です。まさにこのブログの企画意図です。

世界のどこの神話でも、たいていはじめに「型」が語られます。それはたとえば「フォース」だし、「タマ」です。聖書では「言(コト)」だったりもします。コトタマ(言霊)は単に言葉の霊力じゃなく、古代人が体感していた極微と極大の世界の一種の「型」じゃないかと思ってます。タマ(物)が動くとコト(出来事)になります。でもタマがコトを生むわけじゃなく、それ自身がコトのあわれでもある。不可分です。
コトタマ自体が、シクミやストーリーの元素をハナからもっってるので、その集合体である山や木々や人、さまざまな出来事が物語的に連動し、共振するのは自然に思えます。

そうした物語を量子物理学者のように追究したあげく、観察者と観察対象の不可分さの犠牲となった、というか、物語にとりこまれちゃった作家もいますね。僕には三島と太宰がそんなふうに見えます。
  • posted by いやさかの木 
  • URL 
  • 2008.10/12 17:25分 
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天照大神の宣りたまわく
人は天が下のみたま物なり
すべからく
天が下静かにして
平らかならむと
つとむるべし
心はすなわち神明の源たり
あが魂を
傷ましむることなかれ
このゆえに
目にもろもろの
不浄を見て
心にもろもろの
不浄を見ず
耳にもろもろの
不浄を聞きて
心にもろもろの
不浄を聞かず
鼻にもろもろの
不浄をかぎて
心ににもろもろの
不浄をかがず
口にもろもろの
不浄をいいて
心にもろもろの
不浄をいわず
身にもろもろの
不浄をふれて
心にもろもろの
不浄をふれず
心にもろもろの
不浄を思いて
なかごにもろもろの
不浄を思わず
このときに
清く潔きことあり
もろもろの宣りは
かげとかたちとのごとし
清く潔ければ
仮にも穢るることなし
ことをとらば
得べからず
みな花よりぞ
木の実とはなる
あが身はすなわち
六ツの根清らかなり
六ツの根
清らかなるがゆえに
身も内もすこやかなり
身も内も
すこやかなるがゆえに
あめつちの神と同根なり
あめつちの神と
同根なるがゆえに
よろずの御霊と同体なり
よろずの御霊と
同体なるがゆえに
あが願うところのこと
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いうことなし

きわめてきたなきも
たまりなければ
きたなきものはあらじ
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きよくきよしと申す

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