神々が動いている

日々のニュースが、地震や気象が、古代神話とシンクロをはじめた! まるで時空を超えた天地人のコラボレーション。 母なる地球は、そして神々はいま何を伝えようとしているのか? リアルタイムでチェックするメモ日記です。

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日神の国・防人の島

タタリ神としての菅原道真は、御霊神社の火雷天神にあたる。この夏の出雲事象の豪雨には、火雷天神の側面もあったと思う。08/8/8のまるで八雲の日に、川崎市多摩区菅北浦で震度4の反応。菅は菅原。その後の震源もあわせると、菅神(穴澤天神社)と武蔵(无邪志)国造の性格が色濃い。ともに出雲の天穂日命が祖神だ。
菅神といえば太宰府。太宰府と武蔵国から、防人(さきもり)を発想した。千葉の上総も防人を多く出したとこ。短絡的に思えても、はじめの直感や発想は意外にあなどれない。神功皇后や継体天皇にかかわる事象も、いずれ朝鮮半島につながってゆく。そもそもスサノヲ尊や草薙剣にも、半島がらみのストーリーがあるのだ。日本書紀の天智天皇即位年には、「沙門道行、草薙剣を盗みて新羅に逃げ向く。而して中路にて雨風荒れ、迷いて帰る」事件がおきている。
筑紫事象で磐井の乱が示され、筑紫の王が総理になった。朝鮮半島がらみのカルマが噴出する伏線なのか。
関連する事象としては、2月の韓国南大門火災、翌11日の千葉県船橋市神明神社火災、5/23には大阪府吹田市の重文・吉志部神社が全焼している。吉志(岸)は安倍氏にゆかりの渡来氏族で、神功皇后の時代にさかのぼる。河内湖の大湿原だった大阪湾沿岸を干拓したのは渡来人たちだ。

2005年3月18日。島根県議会の「竹島の日」条例に反発し、韓国馬山市議会が「対馬の日」条例を制定した。2日後、福岡西方沖地震。領土問題での竹島の当て馬的な対馬韓国領土論は、以前から存在した。根拠は1419年の李将軍の占領で対馬は朝鮮領になったというものである。今年7月にも、韓国国会で与野党50人の国会議員による「対馬返還要求決議案」が発議された。今後どう動いてゆくのか。

日韓の和合という意味では、サッカーのワールドカップが果たした役割はおおきい。かつて近所の漁師さんが韓国に拿捕されたとき怒髪天をついていたわが父親も、いまや韓国ドラマにメロメロ(笑)。もちろんそれはそれでとてもいいことだと思う。ただ残念ながら両国の歴史はそこで終われるほど軽くはないし、国家というシステムをとる以上、領土問題も存在しつづける。
いま対馬では韓国資本が安い土地を買いあさり、リゾート化している。観光客は近年うなぎのぼりに増え、今年は9万人に達するという。島民の3倍。そのほとんどが、対馬は韓国だとふつーに思っている。そしてたぶん同じくらいの割合で、僕らは対馬がどこにあるかを知らない。

長崎県対馬市は、壱岐市と対をなす島。壱岐には平野があるけど、対馬は山島。その過酷な自然環境が魏志倭人伝のいう「良田なく海物を食いて自活し、船に乗りて南北に市糴(交易)す」の状況をうんだ。対馬への食糧輸送を担当したのは大宰府だけど、それでまかなえていたとは思えない。北の朝鮮・南の筑紫との交易が対馬の人々の生きる糧だった。彼らに必要だったのは、いつの時代でも平和だ。
でも海峡の島には、時代ごとに歴史の荒波が襲いかかる。太宰府防衛の最前線として防人もおかれた。これは昭和初期に対馬要塞として復活する。674年に忍海造大国が銀を献上、以後国の管理となり、奥州の金とならび称された。が、銀山は13世紀には掘りつくしたらしい。この古代銀山の考古学調査はまだ手つかずのままだ。島民の漁技術は海賊の人身売買の対象ともなった。鴨緑江で漁をしてた倭人奴隷はたしか対馬海人だったと思う。新羅、高麗といった朝鮮諸国や刀伊、モンゴルによるホロコーストも伝えられている。李将軍の事例もそう。豊臣秀吉の無意味な朝鮮出兵のあと、対馬藩は朝鮮に友好回復の使者を送りつづける。それが対馬の生きる道だった。もちろん使者はつぎつぎと首を斬られた・・・。

かつて、北部九州から朝鮮半島南部にいたる海洋文化圏があった。おそらく壱岐と対馬はその信仰の中心で、壱岐は月神、対馬は日神の国。筑紫で大量の戦傷骨が出土する弥生の戦乱期においても、両島からそうした例は見つかっていない。壱岐の原の辻遺跡は全国でも有数の規模なのにである。
この文化圏の解明は、韓国、北朝鮮との友好関係がなければなしえない。シビアな部分なので、渡来系とともにいままで言及をさけてきた。でもどうやら事象は見たくないもの見せ、フタをしたもののフタを開きたがるものらしい。そして恐るべきことに,、歴史は手をかえ品をかえて、過去の意志をとげようとする。

対馬と壱岐は日と月の対であり、平和のシンボルとなるべき神の島だ。
これからの事象におおきくかかわってくるはずだし、茶の間の話題となる機会もふえそうだ。歴史とはカルマであり、事象はそのあらわれ。血液の流れが滞れば症状となってあらわれる。
そういえば渡来系の難波で「キャッツ」が示された。対馬にもネコがいる。まぼろしのツシマヤマネコ。
ヤマネコには歴史はない。動物だからではなく、自然の流れで生きているから・・・。

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古代氏族 

このブログの影響も大きいのですが、神社にお参りする際にその神社を司った古代氏族のことも考えるようになりました。

今月半ばの河内、摂津、大和の旅の前からなぜか相撲にゆかりのある場所にひかれました。
今月はじめに訪れた鳥越神社の最寄り駅は蔵前駅、蔵前はかつて蔵前国技館のあった相撲の聖地。
翌日深川不動堂に行き、隣の富岡八幡宮で祭りがあったので立ち寄りました。
その富岡八幡宮は江戸時代には相撲の興業が盛んな所でした。
そして、大和の纏向にある穴師坐兵主神社には野見宿禰と當麻蹴速が相撲をとったという相撲発祥地がありました。

野見宿禰は出雲の神魂神社の天穂日命の子孫で土師氏の祖。
菅原道真は土師氏の子孫。

僕の大好きな浅草寺の草創に関わった三者様の一柱には土師中知という土師氏がいます。
古代氏族を調べると面白い繋がりが発見出来ますよね。

天穂日命の子孫出雲国造家は大国主命を祭祀してきた氏族。

ついでにおまけで相撲といえば、昨日訪れた意富比神社も相撲に縁のあるところです。

相撲と菅原道真→天穂日命とくれば出雲事象ですね。

対馬に行ったことのある、神霊能力のある阿蘇の友人から聞いた話では、九州の離島ではかつて呪詛が多く行われていたように感じたそうです。
その怨念のようなものがいまだに染み着いて残っているのだとか。

本土とも大陸とも隔離された島の生活は厳しく壮絶なものであったのかもしれません。

竹島はおろか、対馬まで韓国領と言い出す領土問題は何とか解決してほしいものです・・・。

下関や北九州へ行った時、朝鮮半島が身近な所であると感じました。
下関の赤間神宮の祭りに多くの韓国人の方も参加してましたから、民間レベルからジワジワと友好関係に繋がれば良いと思います。


難波根子武振熊といえば、富士山本宮浅間大社の宮司家と同じく和邇氏ですね。
こんなところにもルーツを知る楽しみがあります。

ルーツを知ると、自分がひかれるものの相関関係を確認出来たりしますからね。
  • posted by ヤマトヲグナ 
  • URL 
  • 2008.10/26 14:16分 
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ヤマトヲグナさま 

ああ、そうか! 
いま相撲界が荒れてるのも、まさに出雲→野見宿禰→菅原道真の事象ですね。なるほど!
しかも、いわば渡来人にかき回されてる構図ですね(笑)。
若い大鳥さんが逮捕されたのが08/8/18の「八」ならびってのもいわくありげです。若い大鳥さんの力士名は、日本武尊も匂いますね~。

ご友人の方はたしかな目をお持ちだと思います。もしかしたら伊豆や三浦半島でも似たにおいがするかもしれません。神の島といっても、きれいごとだけとは限らず、それこそ神は鬼にも転じます。対馬は亀卜で知られますが、古代の占いや呪は軍事的側面が強いです。神功皇后のアユ占いもそうです。回遊魚からは多くの隣国情報が得られます。古代の叡智ですね。そういえば神功皇后の占いの伝統をつぐ佐賀県のとある神社が、粥占いで2005年の福岡の地震を予言して話題になりました。
占いはつまるところ生と死です。そうした側面がある種のカルマをためるのかもしれません。対馬はその祭祀によってみずから歴史の悲劇を招いた部分もあるように思います。

日本武尊~神功皇后の時代は、巨大な祭祀の転換期です。現在の神道もこの時代にはじまっています。壱岐・対馬はそのメッカです。
弥生時代に伊都国の王を中心とした神仙文化圏が筑紫・朝鮮南部にあったと僕は考えています。大量の鏡も、世界的に珍しい成人甕棺も、そのあらわれでしょう。一般に弥生人といわれるのは甕棺に埋葬された北部九州の人たちで、木棺や石棺では人骨は残りません。弥生列島の全体像は把握できてないのが現状です。逆にいえば保存のいい墓制をあえて選んだ人々なのです。特殊な思想が感じられます。
神功皇后が九州に入ろうとしたとき、筑紫の伊都県主の先祖で五十迹手が迎えます。佐賀地方には井手という名字が多いんですが、たぶん子孫でしょう。井手らっきょもそうかもしれません(笑)。らっきょ頭は甕棺人骨の特徴です。この五十迹手は、筑紫風土記では渡来神天日矛命の子孫です。天日矛命の子孫といえば、神功皇后の母・葛城高額姫。高額という名もなんだからっきょ頭を思わせます。 ちなみに武寧王は、考古学的にはこの佐賀県の出身になります。

神功皇后の凱旋後、武内宿禰は全国をまわって祭祀の転換をやった形跡があります。はじめて神話で対馬海峡ここえた戦いが語られるこの時期、新国家を象徴する総合祭祀として筑紫系が採用された気がします。住吉大神が果たした役割も大きいです。そして筑紫系祭祀の中心となる日と月の神の聖地が対馬と壱岐。雷大臣命を始祖とする現代の神道の原点もここにあります。でもそもそも、 らっきょ頭の神仙文化圏には、日本と韓国の区別はないんですよね。だから日本武尊~神功皇后が事象の主軸になってる今、よくもわるくも壱岐・対馬は和合事象の中心になるんじゃないかと思ってるんです。
僕がほんとに知りたいのは、それ以前の原型としての月読信仰なんですが・・・。

ところで、2005年と今回の千葉北西部震源の宮崎神社にいってきました。祭神はやはりわかりませんでした。どうも水源としての三ツ池弁天が最初のようなんですが、千木が外削ぎで男神なんですよね。三池といえば福岡の炭鉱ですが、そのつながりで揺れたとは思えないし、なぜこの場所が連動するのか謎です。
宮崎神社では、ヤマトヲグナさんがコメントくださった出羽三山の碑にばったり出会いました。タイミングよすぎです(笑)。しかも一区画にまとまって七、八基。湯殿山の民間信仰がさかんだったようです。もしかしたらこっちの反応なのかなとも思いました。やっぱ行かなきゃいけませんね。出羽三山には・・・。
  • posted by いやさかの木 
  • URL 
  • 2008.10/28 23:36分 
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月読命 

阿蘇の友人は神話や歴史には相当に疎いですから、視えたままの事を素直に語りますのでかえって良いんです。

三年前に五泊六日の九州旅行をした時、この友人が阿蘇から高千穂まで案内してくれたのですが、途中ある山を指差して、
「あの山にはいつも幟りが立っているのが視えるんです。」
と語りだしました。

どうやら西南戦争の西郷隆盛軍のようで、戦争末期には子供たちすら戦場へ駆り出されて弾薬を運ぶ雑用などをさせられて泣いている光景が視えるのだそうです。
子供たちまでをも動員した戦争・・・あまりにも悲惨です。

その友人に初めて京都で会った時、お土産に球磨焼酎を持参してくれました。
この時この人は熊襲かな?と感じました。
熊襲といえば、クマソタケルが童女に扮した小碓命またの名はヤマトヲグナに殺される前にその強さを称え、ヤマトタケルの贈り名をしました。

三年前の九州旅行では、なぜかこの友人に認めて貰うんだ、と事前に思っていました。

友人宅に招かれての酒宴の最中、いきなり「ごめんなさい。」と謝られて面食らっていたら、実はたくさんの神社仏閣巡りをしている事を説教しようと思っていた、と言われました。

僕と会って僕の御先祖様方と対話したら、数多くの神社参拝は御先祖様方も望んでおられ、その期待を一身に背負い、神社参拝の折には御先祖様方も一緒にお参りされているのだ、とのことでした。
ですからどんどん色々な神社にお参りして下さいと「認められた」のです(笑)


渡来人の「らっきょ頭」・・・思わず吹き出しました(笑)
頭の形が特異な人として、弘法大師の親戚で天台宗五代目座主智証大師円珍が思い浮かびます。
円珍は「霊骸」と呼ばれる尖った頭をしていたことで有名です。
円珍が遣唐使として唐に渡っていた時に、蛮族にその頭蓋骨が最高の呪具になるとして付け狙われたと云われています。
その円珍が帰国する際には新羅明神が付き添って守護した為に比叡山には新羅明神が祀られています。

円珍はひょっとして「らっきょ頭」の渡来人の血を引いていたのではないかと推測します。

天日矛命は神功皇后を意識すると外せない神ですね。
渡来系の神でありながら、天津神の御神名に冠される「天」が付くのは、神功皇后以降の政権に大きく関係していると推測します。
天日矛命を祀る但馬国一宮出石神社にはお盆休みに参りました。
源義経がたびたび訪れた鏡の宿の鏡神社にも天日矛命は源氏の祖神として祀られています。


いやさかの木さんも出羽三山ですか!?
これは月読命に呼ばれてますね(笑)
来年は月読命の事象が顕著になってきそうですね。
  • posted by ヤマトヲグナ 
  • URL 
  • 2008.10/29 07:57分 
  • [編集]

ヤマトヲグナさま 

幟が見えたのは田原坂のあたりでしょうか。
あの戦いにはうちのご先祖さんも参加してたようです。戦没者名簿に名まえがありました。
このブログの直接きっかけは日本武尊なんですが、そこに導いてくれたのは西郷隆盛なんです。というか、彼を調べてたら日本武尊につながった。変でしょ(笑)。西郷もスサノヲ霊系に加えたゆえんです。ま、そもそもの起点ははじめてわが原産地にいったことにあるんですが・・・。
余談ですが、去年は西郷生誕180年でした。島津家も「十」字紋です。今年大河ドラマが「篤姫」なのも重要な事象のひとつだと思っています。

そんなふうにはじまったブログでご縁ができたヤマトヲグナさんから、思いがけず西南戦争の話が出るというのも、なんだか不思議な感じがします。
原産地を訪れるとなにかが動くのかな?

霊能力のある方がむやみな神社めぐりをすすめないのはよくわかる気がします。どんな願がかかってるかわかりゃしませんしね(笑)。でもヤマトヲグナさんのように目的や、ある種の使命に突き動かされた神社めぐりはぜんぜん別でしょう。逆にどんどん道が開かれると思います。ネットは存在します。

なるほど。円珍さん、おもしろそうな頭ですね(笑)。つけ狙われたってとこもいい。
そう、あの頭は神仙頭なんです。もちろん弥生人が仙人だったなんていいません(笑)。頭に対する思想は古いし、熊本では変形頭蓋骨としてあらわれます。鬼道と神仙の視点が手がかりになると思ってます。

月読尊の事象を心待ちにしてるんですが、やはり夜だけに、暗躍なんでしょうか・・・。
  • posted by いやさかの木 
  • URL 
  • 2008.11/01 05:40分 
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天照大神の宣りたまわく
人は天が下のみたま物なり
すべからく
天が下静かにして
平らかならむと
つとむるべし
心はすなわち神明の源たり
あが魂を
傷ましむることなかれ
このゆえに
目にもろもろの
不浄を見て
心にもろもろの
不浄を見ず
耳にもろもろの
不浄を聞きて
心にもろもろの
不浄を聞かず
鼻にもろもろの
不浄をかぎて
心ににもろもろの
不浄をかがず
口にもろもろの
不浄をいいて
心にもろもろの
不浄をいわず
身にもろもろの
不浄をふれて
心にもろもろの
不浄をふれず
心にもろもろの
不浄を思いて
なかごにもろもろの
不浄を思わず
このときに
清く潔きことあり
もろもろの宣りは
かげとかたちとのごとし
清く潔ければ
仮にも穢るることなし
ことをとらば
得べからず
みな花よりぞ
木の実とはなる
あが身はすなわち
六ツの根清らかなり
六ツの根
清らかなるがゆえに
身も内もすこやかなり
身も内も
すこやかなるがゆえに
あめつちの神と同根なり
あめつちの神と
同根なるがゆえに
よろずの御霊と同体なり
よろずの御霊と
同体なるがゆえに
あが願うところのこと
なり調わずと
いうことなし

きわめてきたなきも
たまりなければ
きたなきものはあらじ
うちとの玉垣
きよくきよしと申す

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